育った環境②

 

姉の希望は、友人と一緒に見学に行った某私立の四年制大学に行きたいというものだった。

 

当然、我が家にそんな学費を払えるわけもなく、両親は姉に事情を話し、希望を変えるよう頼んだ。

 

しかし元来わがままで依存心の強い姉のこと、そんな理由で(あくまで彼女からすれば、だが)自分の希望を砕かれるなんて我慢ならなかったのだろう、両親に猛反発し、思い付く限り口汚く罵り、あげく希望がかなわないのなら出ていく、何をするか分からないとまで言い出した。

 

両親は困惑し、頼むからそんなことはしないでくれと懇願した。

 

私からすれば、そんなことするわけがない。出ていったところで何も変わらないし、そもそも行くところもない。それらしいことを言って脅かして、やりたいことをやらせてもらおうという魂胆だということが見え見えだった。

なのに、なぜ突っぱねないのか。

勝手にしろと強く言わないのか。

なぜこんなわがままに下手に出るのか。

私には、両親の対応は納得がいかなかった。

 

でもそこは親という立場、万が一何かあったら…という不安があったのだろう。

 

思えばこのとき、姉の中に両親は操れるもの、脅せば言うことを聞くものという思い込みができてしまったのだと思う。

 

とはいえ、先立つものがないものは、ない。

いくら脅そうが、それでお金が出てくるわけではない。

 

いつまで経っても首を縦に振らない両親に、姉のイライラはつのっていった。そして、そのストレスのはけ口にされたのが、もともと反りの合わない、気に食わない妹である私だったのだ。

 

当時私は、電車で高校へ通学していた。

学費以外にかかるお金は全部自分で出すから、という約束での電車通学だった。交通費に携帯代、友だちと遊ぶお金、全てお小遣いとお年玉などでまかなっていた。

 

でもそれでも、姉にしてみれば「自分にはできなかったことをしている妹」「ずるい妹」と映ったのだろう。

 

私の姿が視界にはいるたび、暴言を浴びせてくる。私はこんなに我慢させられてるのに、お前は自分の好きなことばかりしている。

お前は卑怯だ。

お前のせいで私はこうなった。

お前がいるから。

お前さえいなければよかったのに。

お前なんかいなくなれ。

毎日呪詛の言葉のようにこんな言葉をぶつけられた。

 

勉強していても、邪魔された。

怒鳴られて、道具を奪われ投げつけられ、壊された。

 

さらに、精神的だけでなく、身体的にも傷つけられることも多々あった。

 

家に帰るのが苦痛だった。

今日は何を言われるんだろう。

何を壊されるんだろう。

どんなことで責められるんだろう。

どこを殴られるんだろう。

勉強する時間、とれるかな…

 

いじめられている子どもが学校へ行きたくない気持ちがよく理解できた。