育った環境③

 

けっきょく姉は専門学校へ進学した。

 

2年間とはいえ私立だし、学費も交通費もそれなりにかかる場所だった。

しかし姉は一銭たりとも自分で払う気はなく、むしろ「仕方なく行ってやっている」という雰囲気さえ出していた。

 

相変わらず私への嫌がらせは続いていたが、バイトや学校仲間との遊びで、姉が家にいる時間が少なくなったのは、私にとって救いだった。

 

しかし喜んだのも束の間、今度は私の進学問題が待っていた。

 

私は内向的で人と関わることが苦手だったので、ひたすら家で勉強していることが多かった。変わっていると言われるだろうが、勉強が好きだったのだ。

 

高校を卒業しても、勉強を続けたかった。特に好きな分野については、仕事につなげられることを望んでいた。

 

大学に行きたい。お金があまりかからない国立とか公立ならどうだろうか。でも、姉のことがあるからぜったい反対されるし、また嫌がらせされる。でも…

 

こんなことを学校の友だちに相談できるはずもない。みんなそれなりに経済力のある家庭だし、あんな姉がいる家なんてあるはずがない。

 

もちろんまだ高校生の私には、家の恥をさらすことに抵抗もあった。

 

今でも鮮明に覚えていることがある。

高校2年の進路希望調査。

悩みに悩んで、私は第一志望を「専門学校進学」と書いた。

すると、即刻担任に呼び出された。

 

職員室で担任の目の前に座らされ、投げつけられた一言が

「あなた、自分の立場を分かってるの?」

だった。

怒気を滲ませたその言い方に、私は頭の中が真っ白になった。

 

私が通っていたのは進学校で、ほぼ全ての生徒が大学へ行く進路をとっていた。

そして私は、学年の中でもかなり上位の成績だった。教師たちは、私は当然名の知れた大学に行くものと思い込んでいたようだ。

 

私を、高校の進学実績に箔をつけるための駒として利用するつもりだったのだ。

 

そんな私が専門学校などと言い出したものだから、担任は慌てたのだろう。学年の教師のみならず、管理職からも責任を問われる、自分のキャリアに傷が付く、と。

 

「自分の立場分かってる?」

「何を考えてるの?」

「突然こんなこと言い出す意味が分からない」

などと責め立てられたが、私は一言も返せなかった。

 

せめて「大学に行かない理由や事情が、何かあるのか」とだけでも聞いてもらいたかった。

 

私だって自分ではどうにもならないことに悩んでいるのに、この人にはそれを推し量る気も、力も、思いやりの心もないんだ。

 

教師というものにも絶望し、私は本当に一人になってしまった。