子どものころ、自分は環境の変化に強いと思っていた。
のちにそれは間違いだと分かる。
私は環境の変化に左右されない人間なのではなく、ただ変化する経験がなかっただけだった。
思えば、田舎に住んでいた私は、常に同じ顔に囲まれていた。
小さな町には引っ越してくる人もおらず、出ていく人もおらず、学年はもちろん全校生徒が顔見知り、という感じの小学校時代だった。
中学でも高校でも、行動する範囲は広がっていけども、いつもその中には知っている人がいた。
そして何より、家庭は常に変わらず帰る場所として存在していた。
以前述べたように、家庭環境は良くなかった。
でも、それがどんなものであっても、私にとって家は心のよりどころであることに変わりはなかった。
私がそのことに気づいたのは、突然の都会への引っ越しのときだった。
まさに引っ越し当日に、私は自分が環境の変化に対していかに脆弱なのかを思い知った。
引っ越したい、という夫からの申し出には、やはり動揺した。いろいろと悩みもした。
しかし私なりに下調べや準備をし、自分なりに見通しを持って、同意に至った。
神経質で心配性な私のこと、考えうるあらゆる可能性に対してできるだけの解決策を用意したし、きっとこれで大丈夫、と思えた。
気持ちが落ち着くまで、考えに考え、準備を整えた。
はずだった。
引っ越し当日、荷物を積めたトラックは新しい家に向かって出発した。私たちは自家用車で、手持ちの荷物だけ持って現地へ向かうことになっていた。
いよいよ出発となったとき、突然私の体に変化が起きた。
急な腹痛で、トイレから出られなくなってしまったのだ。
何の前触れもなく、食べ物などが原因だとも考えられない状況。
体調は悪くない。でも、出られない。
きっと私の体は、引っ越しに伴う様々なストレスや不安に、最も正直に反応したのだろう。
頭の中も気持ちも、完全に欺いたつもりだった。
人の数も建物の数も、今までとは比べ物にならないほど多い場所。
周りに何があるのか、全く知らない場所。
暮らしていくために、星の数ほどの手続きが待っている場所。
何かあっても、すぐに家族は駆けつけてくれない場所。
何かあっても、どこに駆け込めばいいのか分からない場所。
本当に、知っている人が1人もいない場所。
押し潰されそうな不安に耐えるため、私は、何か解決策を探し出したかった。
「もしこうなったら、これがあるから大丈夫」
全ての不安に対して準備しておかないと、本当に叫びだしそうなくらい怖くて怖くて、精神がもたなかった。
だから私は一生懸命考えた。
起こり得る全ての事態を、想像したくもないことでも、あえて考えた。
そして、その際の行動パターンを、自分が救われるための考え方を捻り出した。
それを、何度も何度も繰り返した。
頭と気持ちは、それで整理した。
でも、体は正直だった。
どれだけ準備しても、納得させたつもりでも、やっぱり私は怖かったのだ。
ぬくぬくと守られていた場所から、冷たく真っ暗な、何も見えない環境に放り出されることが、不安で、辛くて、寂しくて、心細くて、とにかく怖かったのだ。
このとき、私は環境の変化にどれだけ自分が敏感なのかを、身を持って知った。
そしてそれは私自身大丈夫なつもりでも、どこかに負荷がかかり、澱のようにストレスが蓄積していくのだということも。