家族とのこと

 

「影響しているもの」には思い当たるものを書き連ねていた。

また思いついたら書こうと思う。

 

今回「家族」というのは、以前書かせていただいた実家のことではなく、今一緒に住んでいる、夫と子どものことである。

 

とりわけ子どもについては、私のこの病気が、どれほど彼らの生活の質や人格形成に影響しているのかがとても気になっている。

 

母親が明るく笑っていれば家庭は平和だ、と聞いたことがあるが、今の私には正直笑える余裕がない。

でも、そんな私でもこの言葉は本当だと思う。

 

まれに私が笑う(それでも微笑程度)と、子どもたちは物凄く嬉しそうな顔をして、いろいろと話したり甘えたりしてくるからだ。

 

そんな時、私は心の底から申し訳ないという自責の念にかられる。

 

子どもが、私も僕もと自分のことを聞いてもらいたいのも、甘えたいし可愛がってもらいたいのも当たり前のことなのに、私はそれを我慢させてしまっているということが、ありありと分かるからだ。

 

何も知らない人がその姿を見たら、母親である私から、日頃どれほど冷たい扱いを受け、愛情に飢えているのだろう、と同情や心配を受けてしまうことだろう。

 

フルタイムで働いていることも相まって、きっとどこかではネグレクトの可能性も疑われているかもしれない。

 

子どもたちのために、自分はもっと明るく快活で、どんなことがあってもどっしりと構えて余裕綽々、くらいでいないといけないとは思っている。

でも、生来私はそういう性格ではない上に、神経質で心配性、ストレス耐性の脆弱さが行き過ぎて、鬱病にまでなってしまった。

 

大げさでも、ヒロイン願望からくる被害妄想でもなく、本当に私は母親失格だと思う。

 

お断りしておくが、もちろんフルタイムで働いてしても、鬱病でも、素晴らしいお母さん方はたくさんいらっしゃる。

あくまで私が、ダメだという話だ。

 

もっとちゃんと母親として頑張らなければと思うが、つらい。

 

つらいことはできるだけ避けて、自分を大切にすることが鬱病からの回復には有効だ、と主治医は言う。

 

子どもと接するのがつらいから、距離を置きたい。1人の時間がほしい。誰もいない場所に行きたい。

 

でも距離を置くと、子どもは寂しがるし、もっともっと我慢させてしまう。

そうなってはいけない。

 

だから私は自分より子どもを優先するべきだ。

 

でもそこで頑張ることがストレスになり、自分の精神がまた削られて弱っていく。

 

本当に、悪循環でしかない。

でも、どうすればいいのか分からない。

 

誰がどれだけ我慢すべきなのか、どれだけ頑張るべきなのか、どれだけ無理をしても大丈夫なのか、それが知りたい。

その、明確なランク分けが知りたい。

 

我慢できるレベルや限界レベルが客観的に比べられたらどれだけ楽だろう。

見た目や想像、性格などに振り回されることなく、数字で分かればどれだけ簡単だろう。

 

「今は子どもの我慢レベルが私の限界レベルより高いから、子どもを優先しよう」

「今は子どもより母親の方が大変だって数字に出ているから、自分の時間を作っていることは悪いことではない」

 

って、誰が見ても分かるような基準がほしい。

それに従って動けたら、どんなに気が楽か。

 

結局、私は自分のしていることに自信がないのだ。

 

人からどう見られているかが気になって気になって仕方がない。

特に子どもではなく自分のために何かをすると、誰かに責められているような気分になる。

 

それが怖い。

 

誰かに、決めてほしい。

 

今あなたが一番すべきことはこれだ。

これをしていれば絶対に誰からも責められない。

大丈夫だから安心しなさい。

 

そう言ってもらいたい。