クリニックで②

 

主治医は壮年の男性だった。

診察室に入ってきた私にまず言ったのが、

「精神科って来るのに抵抗があったんじゃないですか?それでも、よく来てくれましたね。それだけ辛かったんですね」

という言葉だった。

 

前に話したように、抵抗はなかった。でも、たとえ社交辞令とか医者の決まり文句だったとしても、ここに来るほど辛かった、ということをまず認めてもらえたのが嬉しかった。

 

問診では、現状から過去のこと、家庭のこと、仕事のことなどいろいろ話したはずだ。正直なところ正確には覚えていない。

 

途中からは涙があふれてきて、たぶんまともに話せていなかったと思う。

 

話している間、主治医は時質問を挟みながら聞いてくれた。

 

一通り話したあと、私が感じたのは、ずっと抱えてきたものを吐き出せた解放感と、「話してしまった」という少しの戸惑いだった。

 

こんな状態になってでも、私にはどこか、自分のおかしさや辛さ、みじめさを認めなくない気持ちがあった。心の中で思うだけなら、いつか解決したとき、何もなかったことにできる。でも言葉に出してしまうと、しかも他人に話してしまうと、それは事実となって残る。

それに戸惑ったんだと思う。

 

病気だとはっきり診断して、助けてほしい。

 

そう思って行ったはずだったけど、できるなら、こんな不幸も辛さもみじめさも、なかったことにしたかった。

 

それがクリニックに初めて行ったときの、私の本音だったのかもしれない。行ったことに後悔はないし、今でも確信はできていないけれど。

 

主治医はこう言った。

 

「今までの話を聞く限りで木口さんの現状を診断させてもらうと、2つの病気の症状が出てると思います。

1つは、適応障害。今の生活環境や人間関係、仕事内容などに気持ちがついていけてないことによって起こっている不調です。

2つ目は、鬱病適応障害から気持ちが疲れきって、寝られない、何もしたくない、人と会いたくない、生きているのが辛い、などという状態になっています。」

 

ああやっぱり自分は病気なんだ。それを聞いてやっぱりほっとした。

 

病気と診断されて嬉しいなんておかしいかもしれないけれど、不調に対して何もできず、ひたすらマシになる方法を模索して、悩み続けることのほうが、ずっと辛いと思う。

 

これで、治療ができるんだ。

寝られるようになるんだ。

それが、嬉しかった。

 

でも、次の主治医の言葉で、私はまた悩むことになる。