影響しているもの①

 

私の鬱病の病状に大きく影響していると思うものがいくつかある。

 

まず、言わずもがな、クリニックから出してもらっている薬だ。

 

私の場合、朝と寝る前に薬を飲む。

夜のものは、不眠の状態が今より軽かったころは、症状や状況によって飲まなくてもよいと言われていた(今も根本的にはそうだが、もはや飲まないと全く寝られない)ので、これは単純に入眠のための薬だろう。

朝のものが鬱病の症状を和らげる薬だと思う。

 

クリニックに通い出してすぐのころから、夜の薬は、飲めばだいたい効果を感じられるので、効いているし意味のある薬だと思っていた。

 

しかし、朝の薬については飲んだからといって何か効果を感じられるわけではなかった。

量を増やしても、それで気分が明るくなることはないし、正直なところ、飲んでも飲まなくても同じではないのかとも思っていた。

 

だから、時々飲まないこともあった。

 

しかしここ数ヶ月、いろいろとあって自分の状態が以前より良く「なくなっている」と感じるようになってから、朝の薬の効果を感じ始めた。

 

というのは、仕事に行く日の朝がもの凄く苦しく感じて、動けないということが時々起こるようになったのだ。

 

そして、そういう日は決まって休みの次の日であり、休みなら朝の薬はなくてもいいか、と服用をサボった日の翌日であることが多いと気づいたのだ。

 

休日とはいえ何もせずに過ごせるわけではないし、何かしていないと落ち着かない私のこと、仕事を持ち帰ったり、頭の中であれこれ今後のことを考えたりして、体はともかく頭も休まる暇がない。

 

自覚のないままに心身ともに負荷がかかっている状態は、やはり朝の薬の力で和らげられていたようだ。

 

でも、薬が効いていることが分かり、100%嬉しいかと問われると、素直に首を縦に振ることはできない。

 

むしろ、効果がないと感じているままのほうが良かったかもしれない。

 

なぜなら、薬の効果の証明は、私にはその薬がないと普通の生活ができない、ということの証明と同義だからだ。

 

かつて小中学校で教え込まれた、違法ドラッグの中毒症状の恐怖がふと蘇る。

 

主治医は、いずれ必ず薬は切る、と言ってくれている。でも、そんなことが可能なのか、たとえ切れたとしても何年後の話になるのか、門外漢の私には分かるはずもない。

 

自己流の治療、といっても薬を飲まずに我慢するくらいしかできないが、そんなことで完治などできないことは理解できている。悪化するだろうことも明らかだ。

 

でも、薬の力が偉大であればあるほど、それに頼らないと生きられない自分の人生が、とんでもなく虚しく感じられる。