耐え難い瞬間
先日ツイッターにあげたことなのだが、とても心苦しい瞬間があった。
同じ部屋の中にいる人への否定の言葉や不平不満を、まるでその人がいないかのように、本人に聞こえるか聞こえないかの声で、数名でぶちまけ合っていたのだ。
本人には、絶対に聞こえていたはずだ。でもその人も懸命に気付かないふりをしている。
集団は、他の同僚や、最終的には管理職をも巻き込み、どんどんヒートアップしていく。
言っていることは私にも理解できるし、共感もできることだった。
実際にそこから迷惑も被った。
でも、あんなこれ見よがしな嫌がらせは、いやだ。
私は言われている人の気持ちに立ってしまう。
あの人は今どんな気持ちなんだろう。
自分があんなことされたら耐えられない。
これはHSPの特徴だ。周りの人が怒られているだけでも心がキュッと縮こまる。
いたたまれない気持ちになって、その場にいられなくなる。
もしかしたら、言われている側はそれほど気にしていないかもしれない。
悲しみではなく、怒りを感じているのかもしれない。
だから正確に言うと、私はその人に共感しているわけではなく、自分の尺度を用いて想像し、勝手にその気持ちを自分に投影している、ということになる。
私が関係のないことに心を乱されるだけで、他に誰にも何のメリットもない。
でもやっぱり、誰かが悪口を言われているとか怒られているシーンは気持ちがズーンとなる。
かといって、やめときましょうよと止めると、今度は自分が何を言われるか、何を思われるか想像するのが怖くて、止めることもできない。
学校のいじめの構造と同じだ。
私は臆病者の傍観者だ。