育った環境⑤

 

そうまでして、私の人生を邪魔したいのか。

 

 両親が慌てふためく中、私の中では、怒りのメーターが振り切れた。

今まで感じていた苦しさ、みじめさ、そして少しは残っていた申し訳なさ、全てを怒りと憎しみが超えていった。

 

そのとき、姉が診断されたのが、皮肉なことに「鬱病」だった。

 

私は医学には詳しくない。でも、あんなふうに全ての責任を人になすりつけて、

自分は何も悪くない、

自分は妹に病気にさせられた、

あいつが大学とか言い出すのが悪い、

それを止めないかぎり私は治らない、

などと何もかも妹である私に罪を背負わせるような罵詈雑言が、果たして鬱病の症状なのだろうか。こんなに理不尽なことがあっていいものなのだろうか。

 

その事件以来、姉からの嫌がらせはますます酷くなる一方だった。

 

殴る、蹴る、怒鳴る、物を隠される、壊される。

近所に響き渡る声で、私への悪口を叫び続ける。 

 

でも、もう私には姉に対して嫌悪の念しかなかった。

何をされようが、あんな人に私の歩みを止められてたまるか。

耐えて耐えて耐えて耐えて、とにかく進むことだけをやめないように、泣きながらでも、踏み潰されたら這いつくばってでも、道を繋げ続けた。

 

結果、私は志望していた大学に合格した。

 

大学生活は、楽しいものではなかった。勉強は楽しかったが、私は、もう人と付き合うことに楽しみを感じることが難しくなっていた。

 

周りがサークル活動やら男女交際やら旅行やらで楽しんでいても、それは私が住む場所とは別の世界で起こっている出来事のようだった。

 

私は早朝バイトを終えてから大学へ行き、講義を受け、終わったら夕方からのバイトへ出かけた。ほぼ毎日その繰り返しだったが、家族とも数少ない友だちとの関わりも最低限でよかったので、ある意味気が楽だった。

 

でも、時々ふと空しくなることもあった。

 

あんなふうに進路選択に苦労しなければ、そして、今もお金のことを考えなくてよければ、親に甘えながら楽しく大学生活を過ごすことができていれば、私にも勉強とバイト以外の何かが存在したのだろうか…と。

 

今こうやって思い出していても、何か心がザワザワして苦しくなる。

 

これが、私の育ってきた環境だ。

今、鬱病を発症してしまったことと直接は関係ないのだろうけれど、この生育歴が何かしらの影響を与えている気がしてならない。