忙殺

 

最近、本当に日々が慌ただしく過ぎていく。

 

ついこないだ12月になったところだと思っていたら、もう1週間。

 

毎晩、まる1日働いた疲れは残っているのに、その日何をしたのかを具体的に思い出せないという状態。

 

喪失感、虚無感、疲労感だけが残る。

 

いろいろと頑張っているとは思う。

でも報われない現実。

 

意味がないと分かっていても、「やっている」という大義名分のためだけに必死になる自分。

 

これが日々に忙殺されるということなのか、と気づく。

 

まさに、やること考えること不安になること心配なこと気になること、脳と身体の忙しさに、心が殺されているような状態。

 

何も、感じない。

何も、残らない。

 

そんな時はいつも考える。

全てやめてしまえば、どうせ意味ないと諦めてしまえば、楽になるのかと。

 

でも私にはその勇気もない。

 

実りのない日々でも、とにかく流れに身を任せて過ぎていきさえすれば、大きなダメージを被ることはない。

 

もしその流れに棹を立てるようなことをしてしまったら、大きな変化は訪れるかもしれないが、私の心はそのストレスに耐えられず砕けてしまうだろう。

 

人間には、絶えず刺激を求めるタイプと、平穏を愛するタイプの2種類が存在すると思う。

 

私には冒険心なるものは、ない。

刺激は、恐れの対象だ。

 

また今日という日にも忙殺されるのだろうか。