こだわりを捨てる

 

前回「心の大掃除」について書いてみて、あらためて私にはこだわりが多いのだということが分かった。

 

特に、自分の中での決めごとのようなものが勝手にできあがっていて、それを破ることが自分にのってものすごくマイナスになる、という思い込みのようなものが強い。

 

このブログもそうだ。

 

始めたとき、なぜか私の中で「毎日更新しないといけない」という刷り込みができた。

 

それを怠ると何か悪いことが起こりそうで、いろいろなことを後回しにしてでも記事を書いた。

 

書きたいことがたくさんあったのは事実だけど、それを思った通りの文章にするのは難しかった。

 

文章を書くのは好きなはずなのに、義務として言葉を綴ることは辛かった。

 

誰と約束したわけでもない。

評価されるわけでもない。

誰も読んでないかもしれない。

 

それでも、1日欠けることがなぜか怖かった。

 

でもあるとき、どうしても書けない日があった。

 

そうしたら、大丈夫になった。

 

1日更新しなくても何も起こらなかった。

きっと読んでくれてる人は読んでくれてるし、読まない人は毎日更新しても読まないんだ。

それでも私は何も変わらない。

 

だから今は、できる時にしか更新していない。

それでいいと心から思えている。

 

 

でも、私は、どうしてこうなんだろう。

 

手に入れたものがこぼれ落ちていくのがたまらなく怖い。

 

自分の存在に気づいてくれた人が、こっちを見てくれなくなるのが怖い。

 

全速力で走り続けていないと、転びそうで怖い。

 

だから私は常に全てを、力の限り、気がつく限りやりきろうとしてしまう。

 

このこだわりが自分を苦しめていることも、分かっている。

 

適度に力を抜いて生きていれば、そんなに傷つかなくて済む。

 

力を入れすぎるから、必要以上に傷つく。

 

それは、ジョギングしている人がつまずいて転んでもかすり傷で済むのに、全速力で走っている人は大ケガをするのと同じなんだろう。

 

私は、日々を暮らすことにすら力が入り過ぎている。

 

だから、つまずいてしまったとき、普通の人ならちょっと傷つく程度で済んだことが、鬱病の発症にまで至ってしまった。

 

「適度」と「手抜き」の境目が、私には分からない。

 

でももう少し力を抜いて生きないと。

 

人間、ずっと全速力で走り続けることなんてできない。

いつかまた、ガタがくる。